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山口地方裁判所徳山支部 昭和43年(ワ)184号 判決

原告

浜戸国昭

被告

徳山市

主文

被告は原告に対し金一七〇万円、及び内金一五四万円に対する昭和四二年八月一九日以降完済まで年五分の割合にまる金員を支払え。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用は二分し、その一を被告の負担とし、その一を原告の負担とする。

この判決は、原告勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一、当事者の申立

一、原告

被告は原告に対し、金三〇一万六、八八七円及び内金二七一万六、八八七円に対する昭和四二年八月一九日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決並に仮執行の宣言。

二、被告

原告の請求を棄却する。訴訟費用は被告の負担とする。

との判決。

第二、当事者の申立

(請求原因)

一、被告は昭和四二年八月初旬頃徳山市権現町四号一七番地先市道の舗装工事を施行していたが、同月一〇日頃から右道路を長さ約五米に亘つて堀り起し、うち約三米は砂利を敷いたが、残約二米は道路幅員全部につき高さ約四〇糎の凹部をそのまゝ放置し、赤色の標識燈の点燈は勿論何らの工事中であることの標識を設けず、又通行禁止の措置を採つていなかつた。

二、原告は同年同月一九日午後九時頃小型貨物自動車(以下被害車という)を運転して右工事現場にさしかゝつたが、前記のとおり何ら工事中であるとの標識がなく、又その附近は現場を照射する光源がなかつたことから、凹部がそのまゝ放置してあるとは夢想だにせず進行し、右凹部に落ち込み、同時にハンドル操作の自由を失い凹部西側に置かれていたベルトコンベアに自車を接触し、更に前方末端の道路部分に激突し、人事不省に陥り、頭部外傷鞭打ち症等の傷害をうけ、かつ被害車を破損した。

三、右事故は、被告がその管理する道路を常時安全良好な状態に維持し、工事中で車両の通行に危険がある場合においては、その危険を防止するための必要な措置を講ずべきであるにも拘らずその義務を怠つた過失により惹起されたものであるから、被告は原告が蒙つた後記損害を賠償する義務がある。

四、原告の損害は次のとおりである。

(一) 治療費 二九万二、六六八円

1 徳山中央病院 一、二〇三円

2 宇部興産株式会社中央病院 五、四四〇円

3 浅海外科診療所 五、〇〇〇円

4 山口労災病院 二、七七四円

5 岡山労災病院 一万〇、七五八円

6 北野病院 七、四三〇円

7 香田整形外科医院 二万一、三六〇円

8 御幡マッサージ所 五万二、〇〇〇円

9 小野鍼療院 二万五、〇〇〇円

10 青木鍼灸病院 一、九八〇円

11 頸椎用コルセット代 三、五〇〇円

12 福永武雄整骨マッサージ師 二万九、五〇〇円

13 山本由利夫マッサージ師 六万八、四五〇円

14 佐藤医院 五万八、二七〇円

昭和四三年一二月二一日以降岡山労災病院の処方に基き佐藤医院で投薬をうけ昭和四五年二月中旬まで合計二万八、二七〇円を支払つたが、今後一、二年間右投薬を継続する必要があるので、その薬料として三万円を必要とする。

(二) 交通費 三万七、五八五円

原告は(一)記載の治療をうける交通費として三万七、五八五円を要した。

(三) 逸失利益 九四万四、九三七円

原告は鮮魚商を営み、その大半は行商していたものであるが、収益は昭和四〇年三〇万円、四一年三五万円、四二年四九万円で、四三年には五〇万円を下だることはないと推定すべきである。そして、原告は徳山中央病院での一ケ月の入院期間を除き、現在もなお続く頭痛不眠三七度二、三分の微熱に悩まされながら苦痛に耐えて、午前中三時間、午後一時間程度の労働を辛うじて続けていたが、行商は不能となり、仕事の大半を肩代りした母妹も、妹が過労のため病臥するに至り経営は苦しくなり廃業同然となつたので、義兄福本栄に生活の扶助を求め、その代り、昭和四四年六月頃から義兄の鮮魚商の店番として午前一一時から午後二時頃まで勤め、月給二万五、〇〇〇円をうけるようになつた。なお原告自身の鮮魚商は昭和四四年五月末日をもつて全く廃業した。

従つて、原告は入院期間中の一ケ月間は得べかりし利益四万円を失い、その後昭和四四年五月までに諸所の病院マッサージ等に通院し、その間の労働も前記のとおり一日四時間程度しか出来なかつたので半人前の働きしか出来ず、一ケ月二万円として一年九月間四二万円の得べかりし利益を失つた。同年六月以降同年九月まで義兄から二万五、〇〇〇円の給料をもらつていたので、一ケ月宛一万五、〇〇〇円、四ケ月合計六万円の得べかりし利益を失つた。同年一〇月以降は義兄が徳山市内に転出したので、母妹原告の三名で義兄の跡をついで鮮魚商を営んでいるが季節天候等による労働不能になる場合もあり常時一人前の労働はできない状態である。この症状は向う六年間は続き、その稼働減率は一四%(労災等級一二級)であるから、その間の逸失利益は一ケ月五、六〇〇円、合計四〇万三、二〇〇円であるところ、ホフマン式計算方法により中間利息年五分を控除すれば三四万四、九三七円となる。

(四) 被害車修理費 二万一、七〇〇円

原告は右事故による被害車の右フエンダー、ドア、などに損傷をうけ、その修理費用として二万一、七〇〇円を要した。

(五) 慰藉料 一五〇万円

原告は前記のとおり現在までその肉体的苦痛に耐え、家族の生活のため働いてきたものであるが、その間家業は廃業の止むなきに至り、義兄の扶けで生活し入院一ケ月余、その後も二年余に亘り通院、マッサージを続け、将来もなお続けざるを得ない状態であり、その心労は大なるものがあるから、慰藉料として一五〇万円を求める。

(六) 弁護士費用 三〇万円

原告は被告が前記損害の支払をしないので、昭和四三年一〇月一日弁護士西岡昭三に対し、被告を相手方として提訴することを委任し、その手数料並に謝金として、山口県弁護士会の報酬規定額の最低以下である各金一五万円合計三〇万円を依頼の目的を達した時に支払う旨約したので、同額の損害をうけた。よつて、原告は被告に対し前記損害金合計三〇一万六、八八七円及び内金二七一万六、八八七円に対する事故当日から完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるため本訴に及ぶ。

(被告の答弁)

原告主張事実中、被告が原告主張の市道工事をしていたこと、工事現場にベルトコンベア一箇を置いていたこと、標識灯を設置していなかつたことは認める。但し右工事の着工は昭和四二年八月一七日で、工事の状況も事実に相違する。その余の原告主張事実はすべて否認する。

(被告の主張)

一、原告は本件工事現場で傷害をうけたものではない。すなわち、事故当夜は旧暦七月一四日満月に近く、晴天視界一で、七九米ないし二三七米位の見透しのきく明るさである。しかも原告は事故現場前に居住しているので、後記工事現場の状況と合わせ考えると、原告が本件事故現場に自動車で進入することはありえないからである。

二、本件工事現場の状況は、道路幅員六米で、別紙図面のとおり歩道端イ、ロ点より長さ約一五米、深さ三〇糎掘削し、イ、ロ線より東方へ約五米のところまでは砂利を敷き均らし、工事前の道路の高さから五糎位しか低くなつていない。そして、イロ線の工事現場と工事中でない道路との境には木馬三箇を並べて、諸車通行禁止の標識をしていたし、工事現場にはベルトコンベアもおかれていたのであるから、被告には過失がない。

三、被告は原告に対し、(イ)昭和四二年八月二九日頃見舞金二万円を贈り、(ロ)同年一〇月二四日原告の宇部医大診察費五、〇〇〇円を支払い、(ハ)自動車修理中代替車を提供し、(ニ)更に見舞金として金四万円を支払つたから、以上は原告の損害から差引くべきである。

(弁済の抗弁に対する原告の答弁)

(イ)(ロ)(ニ)の事実は認め、(ハ)の事実は否認する。

第三、証拠〔略〕

理由

一、〔証拠略〕を総合すれば、原告は昭和四二年八月一九日午後九時頃被害車を運転して肩書自宅前から、自宅前交差点を東進し、権現公園に通ずる徳山市権現町四号一七番地先市道入口に進入した際、同所で工事中の道路凹部に落ち込み、同時にハンドル操作の自由を失い、凹部道路端に置かれていたベルトコンベアに自車を接触し、更に凹部東端部分に激突し、人事不省に陥り頸部外傷鞭打ち症等の傷害をうけ、かつ被害車を破損するにいたつたことが認められる。右認定に反する証拠はない。

二、そこで、原告の右傷害が被告の道路管理の瑕疵に基くものか否かについて判断する。

本件事故現場の道路は市道として被告の管理にかゝるもので、その頃被告が舗装工事をしていたことについては、当事者間に争いがなく、〔証拠略〕によると、右工事現場は原告方前をほゞ南北に通ずる幅員歩道約六・五米、車道一二米のアスファルト舗装道路とほゞ直角に交わる北西から南東の観現公園に通ずる幅員約六米の市道で、右工事現場の北西側入口は原告方の向側にあたり、その間の距離約二六米であるが、被告は昭和四二年八月一七日から同月二一日まで右道路の北西側歩道端から南東へ約一五米にわたり深さ約三〇糎に床堀りをして土を運び出し、そのあとに砂利を敷き均らしアスファルト舗装工事を施行していたものであり、本件事故当時には北西側から約五米の部分は既に砂利を敷き均らし、残りの距離約一〇米の部分が約三〇糎の凹部になつており、右凹部の道路北側に工事用ベルトコンベア一台が置かれていたことが認められ、右認定に反する証拠はない。右事実によると、歩行者はともかくとして、高速度で疾走する車両にとつては運転の安全に影響するため通行不可能の凹部であること明らかである。しかも、前掲証拠によれば、同所は市内部の通り抜けのきく道路であるから、夜間交通する車両のあることは十分に予想される場所である。従つて、このような状況下で道路工事を施行する場合には、施行者である被告は交通の万全の安全をはかるため、赤色標識燈を点燈することは勿論、通行禁止の措置を講じ、もつて危険の発生を未然に防止するための方法を講じなければならないこというまでもない。しかるに、被告が赤色の標識燈を設置しなかつたことについては当事者間に争いがなく、木馬三箇を北西側入口に並べて諸車通行禁止の標識をしていたとの被告主張にそう証人石丸操、同田中勝人、同中村勇の各証言、同所には木馬二箇を並べておいたとの証人高松モト、同浅屋キクの各証言は、前掲一、の各証拠にてらして俄に採用できない。すなわち、証人中村勇の証言によると、八月二〇日には工事を休み、同月二一日には工事を続行したのであるが、同日も該木馬には何らの損傷もなかつたことが認められるところ、原告が前記凹部に落ち込んだことは前叙のとおりであるから、これらを併わせ考えると、木馬が並べてあつたならば当然自動車と接触し損傷している筈であるのに、その跡がないということは、木馬を並べていなかつたことと推定できるのである。原告が木馬をとりのぞいてから通行したと考えられないのでもないが、そうであるならば凹部の存在に気付く筈であるから、右のように推定することは無理である。そうすると、本件事故は、被告がその管理する道路を常時安全良好な状態に維持し、工事中で車両の通行に危険がある場合においては、その危険を防止するに必要な措置を講ずべきであるにも拘らず、これを怠り、通行禁止の方法を講じなかつたため、原告が凹部に落ち込み傷害をうけるに至つた本件事故は、後記のような原告の過失を考慮してもなお、被告の道路管理行為の瑕疵にもとづくものと認められる。従つて被告は原告に対し後記原告の蒙つた損害を賠償すべき義務がある。その方式および趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき乙第五号証、成立に争いのない乙第九号証の一、二、検証の結果によると、事故現場には照明設備はないけれども、事故当夜は旧暦七月一四日快晴で一四夜の月は中天にかゝつて明るかつたことが認められる。そして、原告方は本件事故現場の真向いにあり、その間の距離は僅か二六米にすぎないこと、工事現場にはベルトコンベア一台もおかれていたこと前記のとおりである。しかも原告は右自宅で鮮魚商を営み、行商するのほか殆んど自宅にいたことが原告本人尋問の結果(一回)により認められるから、原告は本件工事が施行されていることについては認識していたものと認められる。従つて、原告としても、たとえ木馬などで通行禁止の措置がとられていなかつたとしても、同所を通行するからには、万一の事故を防止するために、同所の状況を十二分に確認して運転すべき注意義務があるものというべく、原告がこれを怠り、可成りの速度で同所を通行しようとしたことは、証人田中勝人の証言、及び後記原告のうけた傷害の程度により明らかであるから、本件事故を惹き起すにつき、原告にも可成りの過失があつたものというべく、右過失は損害額の算定に斟酌すべきものである。

三、次に原告のうけた損害について検討する。

(一)  治療費 二八万五、四三五円

〔証拠略〕によると、原告主張の事実を認めることができる。また佐藤医院における将来の投薬料については、〔証拠略〕を総合すると、少くみても一年間二万円ていど今後二年間は必要であると認められるので、これをホフマン式計算方法により現在の一時利得額に換算すると、原告主張の三万円を下らない。そして、北野病院分をのぞき以上の入院通院治療が必要であつたことは〔証拠略〕を総合して認める。右各事実によると、治療費合計は二八万五、四三五円である。

北野病院分については、その検査を受ける必要性について、原告本人尋問の結果以外にはその証拠がなく、右証拠のみでは証明不十分である。

(二)  交通費 二万二、七〇〇円

〔証拠略〕によると、原告は(一)記載の治療をうける交通費として、次表の如く二万二、七〇〇円を要したことが認められる。

〈省略〉

右以外の原告主張の交通費は母、妹の同行分を主張するもの、及び原告本人の大阪市内タクシー分であるが、これらはいずれも原告の前記治療費に必要なものとは認められない。

(三)  逸失利益 六〇万九、三四七円

〔証拠略〕を総合すると、原告は鮮魚商を営み、その大半は行商をしていたものであるが、その収益は昭和四〇年三〇万円、四一年三五万円、四二年四九万円で、四三年には五〇万円を下らないものと推定でき、従つて事故当時の一ケ月の収益は四万円を下らないものと推認する。そして、原告は徳山中央病院に一ケ月入院し、退院後は午前中三時間、午後一時間位稼働していたが、主たる収入源の行商はできなくなり、仕事の大半を肩代りした母妹も、妹が過労のため病臥するに至つて経営不振に陥り、昭和四四年五月末頃原告方店舗における営業を廃止し、義兄福本栄に生活の扶助を求め、同年六月頃から同人の徳山市須々万における鮮魚店の店番として、月給二万五、〇〇〇円をうるようになつたことが認められる。

(イ)  従つて、原告は右入院期間中一ケ月得べかりし利益四万円を失つた。

(ロ)  その後、昭和四四年五月までは諸所の病院、マッサージ等に通院したが、右治療、通院がやむをえないものであつたことは前叙のとおりであるところ、その間の労働も前記の如く一日四時間程度しか出来なかつたので、同期間中五割の減収となり、右一年九月の間合計四二万円の得べかりし利益を失つたものと認められる。

(ハ)  前記の如く、同年六月以降九月までは義兄から一月二万五、〇〇〇円の給料を支給されていたので、その間一ケ月一万五、〇〇〇円の割合で合計六万円の得べかりし利益を失つた。

(ニ)  同年一〇月以降は、義兄が徳山民衆駅に進出したので、原告は母妹と共に義兄の右須々万の店舗を引きつぎ鮮魚商を営んでいることが〔証拠略〕により認められるところ、原告は現在もなお天候不順の節など鞭打ち症後遺症になやみ、これによる労働能力の減退は今後二年間一〇%程度であることが、証人古本雅彦、同佐藤慶寛の各証言により認められる。従つて、その間の逸失利益は一ケ月四、〇〇〇円の割合であるから、これを現在一時に請求するので、ホフマン式計算方法により年五分の割合で中間利息を控除すれば、八万九、三四七円となること計数上明らかである。

右(イ)ないし(ニ)の合計は六〇万九、三四七円である。

(四)  被害車修理費 二万一、七〇〇円

〔証拠略〕によると、原告は本件事故により、被害車修理費として、二万一、七〇〇円を要したことが認められる。以上(一)ないし(四)の合計は九三万九、一八二円になるが、前記原告の過失を斟酌すれば、これを六〇万円に減額すべきである。

(五)  慰藉料 一〇〇万円

原告が本件事故によりうけた傷害、現在なおつゞく鞭打ち後遺症、これにより自宅店舗における鮮魚商は廃業するに至つたこと、本件事故における原告の過失、その他諸般の事情を彼此総合すると、原告のうけた肉体的精神的苦痛に対する慰藉料としては、一〇〇万円をもつて相当とする。

(六)  右の合計は一六〇万円になるが、被告が見舞金として合計六万円を内入れしたことは当事者間に争いがないから、これを差引くと、残額は一五四万円となる。なお被告主張の三、(ロ)(ハ)については、原告が損害として訴求していないので控除しない。

(七)  弁護士費用 一六万円

以上により原告は被告に対し一五四万円の損害賠償請求権を有しているが、被告が任意に支払わないため、原告は弁護士西岡昭三に本訴提起を委任し手数料謝礼として山口県弁護士会の報酬規定額の最低以下である各金一五万円合計三〇万円を支払う約束をしたことが、〔証拠略〕により認められるところ、前記請求認容額その他本件にあらわれた一切の事情を勘案すると、一六万円を被告に賠償させるべき金額と認める。

四、以上のとおり被告は原告に対し金一七〇万円及び内金一五四万円に対する事故発生日である昭和四二年八月一九日以降完済まで民事法定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるから、原告の請求は右認定の限度で正当として認容し、その余は失当であるから、これを棄却することとし、訴訟費用につき民事訴訟法九二条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 戸塚正二)

別紙 〈省略〉

〈省略〉

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